ご案内
銀行のインターパンク機能は著しく発展し、それにともなってロンドン市場はユ−ロ市場の核として急速に発展していく。
一方、大西洋を隔てた米国のニューヨーク市場も、ドルが国際基軸通貨であることを最大の武器として圧倒的な規模を実現した。
ニューヨーク市場はまた、世界でもっとも市場メカ国際金融のしくみはどうなっているか。
ニズムがうまく機能する金融市場でもある。
とりわけ、フェデラル・ファンドや財務省証券についての開かれた市場は特徴的である。
またニューヨークは、ロンドンとちがって、圏内金融市場としての機能も充実している。
以上の三つ、つまりロンドン、ニューヨーク、そして東京が世界の三大金融市場であるということになっている。
このなかでは近年、強い経済と強い円を武器に東京市場の台頭ぶりには目覚ましいものがあるが、しかし長い歴史と伝統を誇るロンドンや、ドルという国際通貨と高度な市場性を誇るニューヨークに比べると、まだまだである。
これには円に対する国際通貨としての評価がまだ低いことも影響している。
対ドルレートこそ大幅に上昇したものの、円の本当の実力はニOO円前後だとされる。
しかも、貿易取引などの決済手段としても、また通貨当局による市場介入の手段としても、円が用いられる頻度はドルに比べて極めて低い。
また、金融市場が国際金融市場として発展するためには自由化が不可欠であるが、東京市場は自由化されてからまだ日が浅い。
さらに日本の金融機関の国際市場への参入も他の先進国に比べて大幅に遅れた。
つまり日本の金融は、まだまだ新参者である。
その点、東京よりも、旺盛な資金需要のある地域をかかえる香港の方がいまや勢いは上かもしれない。
東京が今後、金融市場として発展していくためには、銀行・証券・保険といった金融そのものはもちろん、その周辺の経済的・政治的諸規制をいっそう緩和していくことが必要だろう。
プラザ合意とはなにか。
その結果どうなったか。
一九八五年九月、「G5」と呼ばれる五つの先進国(米国、英国、フランス、西ドイツ、日本)の蔵相と中央銀行総裁がニューヨークのプラザ・ホテルで、為替相場についての協議を重ねた。
その結果、ドル高の是正と主要通貨相互の関係の適正化をめざして、この五カ国が協調して為替相場を誘導しようという内容の合意、「プラザ合意」に達した。
それまでは、国際金融市場に対する介入といえばそれぞれの国が単独で行うのがふつうで、このように複数の国家が示し合わせて介入する協調介入ははじめてのことである。
これを機に、今後も主要国の通貨・金融当局が国際経済政策を監視(サーベイランス)しあいながら、五カ国の協調関係の強化に努めていくことになった。
プラザ合意にいたる背景には、八O年以来の米国の高金利政策があった。
これは当時のレーガン大統領の経済政策、レーガノミックスの一環としてとられたインフレ抑制策である。
高金利は海外からの資本の流入を促し、そのためにドルはどんどん高くなっていった。
米国経済の実態を無視して過大に評価されたドルは、あっというまに巨額の貿易赤字をもたらすことになった。
このため、米国は内外金利差をなくしてドルを適正な水準にまで戻す必要に迫られたのだ。
国際金融のしくみはどうなっているか。
プラザ合意の結果、ほとんどすべての主要通貨の対ドルレ−トが高値を更新することになった。
過去五、六年間、一ドル二四O円台の安値がつづいていた円も、いつきに一四O円台の円高局面に入った。
そして、この円高・ドル安は少なくとも短期的にはドルベ−スの日本の対米黒字額を拡大させたため、円レ−トはさらに上昇し、結果的にはプラザ合意からわずか二年間で七割もの円高が進んだ。
もちろん、こうした急激な円高は協調介入だけが原因ではない。
日本経済のファンダメンタルズ、つまり実力もその大きな要因である。
プラザ合意以降、ずるずると下がりつづけるドルは、為替相場全体を不安定なものにした。
そこでG7(G5にイタリアとカナダが加わる)は、ドルと各通貨のレ−トを当面の水準をもとに一定幅に安定させることをルーブル合意として決議した。
いわば現状を追認してそれを維持しようというものである。
これにより円は一ドル一四0〜一六O円台に定着させることになり、協調介入はプラザ合意マ−クとして修正段階へと向かった。
ところが、そのルーブル合意も八七年十月の「ブラック・マンデ−」にともなうドルの大幅下落で崩れてしまう。
同年十二月のG7共同声明では、円レートの新たな安定化目標は一二0〜一四O円台とされ、事実上プラザ合意もルーブル合意もともに効力を失った。
つまり、協調介入はあくまでも当面の対策であって、相場を思いどおりに操作するカまではなかったということである。
こうして現在の水準、つまりプラザ合意直前の二倍にもなる円高局面へと突入したのである。
ブラック・マンデ−とはなにか。
一九八七年十月十九日(月曜日)、ニューヨーク株式市場は突知として「売り」が殺到し、株価はあっというまに大暴落となった。
ダウ平均株価はこの日一日で二二・六%も下がり、一目の下げ幅としては史上二番目を記録した。
そして株価暴落はまたたくまにロンドンや東京にも飛ぴ火し、世界中の株式市場を大混乱に陥れることになった。
この暴落は、三0年代の大恐慌の引き金となった二九年十月の大暴落に匹敵し、また直前までの株価の動きが当時の状況に酷似していることから、「ブラック・マンデー(暗黒の月曜日こと呼ばれた。
L政権時代の高金利政策が挫折し、八五年のプラザ合意が交わされてからは、米国の金利は低めに推移していたが、八七年に入って金利は上昇傾向をみせ始めた。
ところが、米国自身も含めて世界経済が比較的順調に拡大傾向をたどっていたこともあって株価の上昇期待は膨らむ一方となっていたのである。
また、M&Aに対する防衛策として企業の自社株購入が進んだことも株価上昇に拍車をかげた。
加えて八0年代に入ってから株価がほぼ一方向的に上昇していたという経験的事実も災いした。
そして、経済の実勢から大きくかけ離れてしまった株価は、どこかでその適正な水準に戻すための調整が必要なところまできていた。
それがたまたまその十月の月曜日、折からの通貨をめぐる先進国間の政策協調の足なみの乱国際金融のしくみはどうなっているか。
ルーブル合意の決裂と、国際情勢のちょっとした不安定要因(湾岸情勢の緊迫)を受けてポートフォリオ・インシュアランスの売りが殺到したことを引き金に、少々荒療治ぎみの調整が行われたというわけである。
これは、いうなれば人間の愚かな行為に対して市場という名の神が制裁を加えたようなものだ。
もちろん、これだけの規模の暴落があったわけだから、それが経済に対して及ぼすマイナスの資産効果は大きい。
いわゆる資産デフレである。
事実、一時的には大きな金融不安が世界中を駆凶りめぐり、大恐競を知る人のだれしもがその再来を危倶したのである。
しかし、実際にはそれは把憂にすぎなかった。
世界経済の瞬間風速が大恐慌前夜のころとはまるでちがっていたのだ。
つまり、当時の世界経済は先進国を中心にそろって拡大傾向をみせていたので、どちらかというと景気過熱の方が懸念されるくらいの状況であった。
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